「音楽」との関わり合い(1)

2005-03-04 「蒼溜」 at 賭け事.tv より転載

 「作詞」に取り掛かる前に自身の「音楽」との関わり合いを思い出して見た。馬券生活には無関係だが、このネタで少し引っ張ろうと思ってる。(ご容赦→オフィシャル殿)。小学校に上がった頃、突然、自宅にステレオ(ONKYO製)というものが現れたのが最初の接触だったろう。そのステレオで初めて聴いたレコードが確か皆川おさむの「黒猫のタンゴ(昭和44年)」だった。まぁ、そこまで遡らなくてもいいのだが(笑)、このステレオがなぜに我が家に現れたのか?その理由は未だに謎である。両親が稀な音楽好きだった訳でもなくステレオにオマケで付いて来たのか「昭和歌謡史大全集」とか言うLP10枚だか15枚だかのセットの中身も、自宅のリビングで頻繁に流れていた記憶もないし、付属のオープンリールデッキも誰も触ることが無かったが、その大きな木箱が後の自分の音楽観へ色々と影響を与えた。

 中学の合格祝いに祖父に贈られたのが、その頃、流行っていた俗に言うラジカセであるが、確かに、これでエアチェック(古いなぁ)をした憶えはあるが、それよりも後にハマルことになるBCL(これも古いッ)への影響が大きい。つまりこの頃のラジカセってのは短波放送(SW)のチューナーも備えていた訳だ。その短波でFENやBBCから流れる洋楽や英語のDJを背伸びして聴いていたこともあった。

 その後、オープンリールデッキの使用承諾を得られた頃にモノラルとステレオの違いを理解し臨場感を受け留める感性を磨いたのだろう。主に音源はFMだったから録音中に隣の部屋で妹が照明を点け、ノイズが入ったと怒り、曲の前後にDJの声が被ると愚痴るという神経質さだった。

 世代的に
ビートルズやロカビリー、GS世代よりも少し若いから、象徴的な対象が思い出されない。ベイシティーローラーズも聴いたし西城秀樹ジュリーも聴いた。何でもありの多感な頃だから仕方無い。

 アコースティックギターを買い与えられたのもその頃だったろうか。お約束の
「禁じられた遊戯」のテーマなどを家族から白い眼で見られながら練習していたのだが、そのアコギがフォークギターで無い事に気づいたのは、だいぶ後からだった(爆)。

 あれがフォークギターだったら少しはクリエイティヴな青春を過ごしていただろう(ホンマかいな)。後から聞いた話だが、あのギターは両親が妹にピアノを買い与えるのに際し私が僻(ひが)むのを見計らってピアノの購入先にサービスさせた代物だったらしい。

 こうやって書くと我が家は、とても
「裕福な家庭」に読めてしまうから文章というものは魔物だなや。決して、そんな事は無い。ただのリーマンの子であるのに、ひょんな事から私立中学へ進学した私は学校(自営業の子息が多い)では非常に見栄を張って生活していたことを思い出す。(週明けにつづく)